『アメリカ黒人の歴史』

アメリカ黒人の歴史』(岩波新書)を読みおえる。

内容整理と印象に残った点
①18世紀に最盛期をむかえる北米における黒人奴隷貿易、いわゆる「三角貿易」(イギリス―<ラム酒>→アフリカ―<黒人奴隷>→新大陸―<糖蜜>→イギリス)が、イギリスに「資本の本源的蓄積」をもたらしたこと。資本主義を全面的に駆動させることになる原点に黒人奴隷貿易があったことは、やはり今でも大きな問題として考えなければならないのでは。

②1770年代のイギリスからの独立革命においては、その運動と戦闘に自由黒人や逃亡奴隷も大衆の一部として参加した。しかし独立がはたされるやブルジョア民主主義革命としての限界を露呈する。「独立宣言」は、ジェファソンの草案の段階では奴隷制を非難する一節があったが、最終的には削られ、憲法にも奴隷制度容認が盛り込まれる。北部では漸次解放が進むが、南部では暴動への弾圧や逃亡に対する締め付けが強化される。

③イギリスの産業革命によって需要が急増していた綿花の一大栽培地・供給地として、南部は19世紀前半に急速に発展し、「綿花王国」へと変貌。そのプランテーションでの過酷な奴隷労働にあらためて黒人が組み込まれていく。ここでは黒人奴隷は所有者からは人間ではなく「動産」としてみなされて、牛馬のように働かされ、ことあるごとに虐げられた。このような非道で残忍な搾取制度にたいして、奴隷制度廃止運動もさまざまに起こる。

1831年に『解放者』を発行したガリソンは即時の奴隷廃止を訴えて運動を展開、自由黒人の支持を得て反対運動を広める。自身逃亡奴隷から自由黒人になったフレデリック・ダグラスは『北極星』を発行し、より政治主義的な手法を運動に取り入れ、大きな影響を与えた。おなじく逃亡奴隷だったハリエット・タブマンは、自らの経験を生かし「地下鉄道」という非合法組織を通じて多くの奴隷を逃亡・解放させる。また白人の清教徒ジョン・ブラウンは、暴力に訴えてでも、と英雄的な武装蜂起をするが、あえなく鎮圧される。

⑤南部での運動への弾圧はすさまじく、講演などの活動は阻害され、運動家はたえず危害やリンチを加えられた。また逃亡への締め付けはよりいっそう強化され、見せしめの拷問も横行した。暴動には官憲や軍隊が容赦ない暴力で鎮圧し、多数の死傷者をだした。そういった情勢のなかで、自由黒人をアフリカへ「殖民」させて問題を解決させようとする「隔離」主義的な運動もあったようだ。しかしこれは、後のマーカス・ガーヴェイやブラック・ムスリムズの黒人至上主義のうえでの帰還運動・分離主義とはまた違っていたようで、運動の主導的な役割をはたすことはなかった。

南北戦争までの奴隷制反対運動は、おもに中産階級のなかの急進主義が主導していたが、黒人、農民、労働者、婦人といったより広範な層への体制反対運動を結集させた。現実政治においては、既存政党の再編をもたらす。1840年奴隷制廃止を求める自由党が結成され、既存政党のホイッグ党民主党の内部では、それぞれ廃止派と存続派の対立を生み出された。そして奴隷取締法などへの闘いの中から、1854年にはより大きな奴隷制反対政党として諸勢力が合流し、共和党が誕生することになる。

今日はここまで。また時間があれば続きをまとめたい。

アメリカ黒人の歴史 新版 (岩波新書)

アメリカ黒人の歴史 新版 (岩波新書)