期待の『サッド ヴァケイション sad vacation』

青山真治監督作品『サッド ヴァケイション』を見る。

初日だったので、そこそこ人は多かった(同じ映画館の別のスクリーンで『エヴァンゲリオン』をやっていて、そちらのほうが断然人は多かったが)。で、感想はというと、よかったところもあるし、不満もなかったのだが、なんだかはじけきれず「スッゲーよかった」とまではいえなかった。見る前から期待が大きかったせいなのかもしれない。

実は、監督自身による原作の小説を文芸誌掲載時に読んでいたのだが、そのときも「面白い」とは思うものの、いまひとつ腑に落ちないところがあった。中上健次を1つの参照項にした「青山サーガ(北九州サーガ)」を読み解くのは、興味深い。どんどん話が込み入って重層的な世界が生み出されもするだろう。しかし、単純に『Helpless』に『ユリイカ』をつなぐのは、余計なことなのではないか、という気がしていた。

いや、これは青山としてはそれなりの必然性があったようだし、そのことは認めてもいい。以前に青山を論じた文章でも、その経緯には触れたことがある(「『映画作家』青山真治による小説の跳躍と、『似ている』ものたちの交錯」)。2つの映画が具体的に結合されていく作業が行われたのは、あとになって青山がいくつかの小説を書いていくなかでであったし、青山において「映画」と「小説」の関係は、単純ではなくかなり錯綜の様相を呈していた。

とはいえ、「秋彦」という人物をちょうつがいにして物語が間接的に関係づけられても、映画作品としては、「別の世界」のままでしかない。なのに、今回の『サッド(・)ヴァケイション』で、2つの先行作品をミクスチャーしたような組み込み方をするのは、「余計」というのはいいすぎにしても、「余技」にもほどがあるのでは、ないだろうか? という感じがしたのだ。

いや、青山作品の原則は、最終的には「映画と小説は違う」ということのはずだ。だから、映画では、小説とはまったく違う「何か」を見せてくれるのでは、と思っていたのだが……。

しかし、出来上がった映画を見たところ、さきに小説として定着した物語を丁寧になぞっているような印象が強かった。そこにやや冒険の少なさを感じ取ったのは、私だけであろうか。

映画『サッド ヴァケイション』オフィシャルサイト