ちくごよみイラン・パペ『パレスチナの民族浄化』2

 民族浄化についてこのように参照することは、学者やアカデミズム業界内のルールでもあります。ドラゼン・ペトロビッチ(Drazen Petrovic)は、民族浄化についての定義の最も包括的な研究を発表しました。彼は、民族浄化にたいして、ナショナリズムや新たな国民国家の建設、あるいは国内紛争を関連づけています。こういった視点から、この犯罪を実際に担う軍隊と政治家との親密な結びつきをあばき、民族浄化のうちにあらわれる虐殺の位置づけを説明しています。それはつまり、政治指導者は、民族浄化の実行を軍レベルに委任するのですが、必ずしも組織的な計画を携えさせたり、明確な指導を与えたりするのでないのに、全体的な目的に関しては全くもって明瞭だということなのです。


 このように、それ自身の慣性力で突き進む巨大ブルドーザーが、その任務を果たすまで止まろうとしないように、追放の機械が行動を開始し、進み続ける限り、ある点では(またこれはパレスチナで起こったことを正確に映し出すのですが)、政治指導部は、積極的な関わりをやめるのです。この機械の下に押しつぶされ殺される人々のことなど、スイッチを入れた政治家たちには、何の関心もありません。ペトロビッチたちが注意をうながすのは、念入りな計画をしたジェノサイドの一部分をなす虐殺と、民族浄化を実行せよという上官からの一般的な指令を背景にしてかきたてられた、憎悪と復讐の直接の結果である「計画のない」虐殺とは区別されるということです。


 こうして、さきに概略した百科事典の定義は、学問上での、民族浄化という犯罪の概念化の試みと一致することがはっきりします。どちらの見方においても、民族浄化は、特定のグループの人々を追放して、追い出した家を破壊し、難民状態におとしいれることで、民族的に入り混じる国を均質化しようという活動なのです。マスタープランがあることも割合あります。しかし民族浄化に手を染める部隊のほとんどは、直接の命令を必要としません。彼らはあらかじめ、自分たちに何が求められているのか分かっているのです。虐殺は作戦行動にともないますが、ジェノサイド的な計画の一部として行なわれるのではなく、追放の標的とされた人々が逃げ出すようにしむけるための主要戦術なのです。追放にあった人は、その後には、国の公的な民衆の歴史から抹消され、集団の記憶から切り離されてしまうのです。計画の段階から最終的な実施まで、1948年のパレスチナで行なわれたことは、これらのよく知られ、学問的に検討された定義に沿うような形での、一つの明白なケースになっています。