『グアンタナモ、僕達が見た真実』

マイケル・ウィンターボトム監督作品『グアンタナモ、僕達が見た真実』を見に行ってきた。

グアンタナモ米軍基地は、キューバ東南部グアンタナモ湾にあるアメリカ合衆国海軍の基地。米西戦争1903年に独立したキューバから合衆国が租借してきたが、キューバ革命により両国は対立、キューバ側からは返還要求がなされてきた。しかし合衆国がこの要求を無視して租借を続け、今にいたるまで軍事基地として占拠している。

グアンタナモでは、合衆国の法律もキューバの法律も適用を受けず、米軍の裁量だけでキューバやハイチの難民を不法入国者として収容・拘束してきた。アフガンニスタン戦争以降は、アルカイダタリバンとみなされる容疑者(と合衆国が主張する人々)を大量に収容するようになる。裁判も受けさせず、拷問を活用しながら、自白や密告を強要して、テロ組織の情報を収集するためだけに拘留を行っている。このような米軍によるあまりに不当な人権侵害にたいして国際的な非難が高まっている。

以上のような、グアンタナモの一般的な背景は、それなりに知られていると思うが、映画は、そこに2年以上も不当拘束され2005年に釈放されたパキスタン系イギリス人の若者3人のインタビューを交えながら、彼らがグアンタナモでの強制収容生活で実際どのような仕打ち・あつかいを受けたのかを、リアルに再現して描いている。

映画はねらいどおり、グアンタナモで合衆国のやっていることのえげつなさを、如実にあばいている。それは確かに一般的な知識をこえる衝撃はあり、ブッシュ合衆国の軍事主義的不正義にますます怒りがつのることになる。ただし、この映画作品のほうにも若干の不満と疑惑があることもかくせない。

3人のパキスタン系イギリス人が最終的に解放されるのは、事実であり、そうあるべきであるのだが、そして、それが可能だったのは彼らが「イギリス国籍」で英語を話すからであるのだが、一番気になるのは、映画にそのことを多角的にとらえようという気配がまったくなかったことだ。つまり、主人公と同じように拘束されていた普通のアフガニスタン人やイスラム教徒はどうなのか、あるいは実際にアルカイダにかかわりのあるものだったとしたらどうなのか、そういう人たちは拷問と尋問を受け、見せしめのような金網の牢に入れられているのは、仕方がないことなのか? 映画は、ほとんどそういう問題性にはまったく無関心のように思えた。

合衆国や英国でグアンタナモを告発し、それなりの話題性を獲得するためには、こういう一面的な描き方のほうがいいのかもしれない。作り手としてのそういう選択だったかもしれない。しかし十分に評価できるいい映画とは決して言えないだろう。