『ガイサンシーとその姉妹たち』と『チョンおばさんのクニ』

シネ・ヌーヴォXで上映中の班忠義監督の『ガイサンシー(蓋山西)とその姉妹たち』と『チョンおばさんのクニ(王母鄭氏)』をみる。どちらも帝国日本軍による性暴力をうけた中国人女性・朝鮮人女性を取材したドキュメンタリー映画である。

『ガイサンシー』は、山西省一の美人「蓋山西 ガイサンシー」と呼ばれたがゆえに日本軍に目をつけられ、戦時性暴力被害者となったある女性を探すところから始まる。が、すでに亡くなっていることが分かる。証言者をさがすうちに、その「ガイサンシー」と同じ境遇におかれた「姉妹」(実際のではなく精神的な絆を結んだ、ガイサンシーよりも年少だった女性)たちと出会い、思い出すこと自体がたいへんな苦痛を伴うものでありながら、貴重な証言をもたらす。

日本軍により拉致・連行・監禁されたうえで、日常的に強姦・暴力を繰り返し受けたこと。彼女たちは、戦争が終わってからも差別や貧困からそのことを明らかにできずに苦しんで生きざるをえなかったこと。今も体にはいくつもの傷と障害がのこっていること。「ガイサンシー」は、ときに彼女たちの身代わりとなって暴力を受け「姉妹」たちを守ろうとしたこと。「ガイサンシー」は、晩年にまで心を病み、最期は自殺だったこと、など。

日本人たちが行った性暴力が、いかに残忍で、むごたらしく、異常なものであるかということが、よくわかる。しかし、ただそれだけでなく、今なおその事実をなかったことのようにわめきあい、低級な議論で問題の本質をずらし、組織的な責任のがれをくわだてる日本人のふるまいが、どれほど常軌を逸した不正義か、どれほどみにくい罪を倍加しているか、どれほどさらなる暴力で人々を傷つけることになっているか、映画は、そのことをも浮かび上がらせ、現在のわれわれこそが引き起こしている罪悪を示すことになっている。

『チョンおばさんのクニ』も、たいへん物悲しい話だった。

だまされて中国戦線にまで連行され、日本軍の性暴力をうけた経験をもつチョンおばさんは、もともと朝鮮人(韓国人)だったが、解放後は中国湖南省の農村で暮らしてきた。結婚し家庭も持ち、夫はなくしたが、子どもや孫とともに生活している。すでに年老い、先行きのあまり長くない病気を患っているので、できればせめて一度だけ故郷(韓国・忠清道)を見てみたいと彼女は願っていた。それで支援者の援助を受けることになり韓国訪問が実現する。

しかし、そこにはチョンおばさんが懐かしがったり親しげに感じたりするものは数少なく、幼馴染らしき人にも知らないと拒絶されてしまう。言葉も忘れてしまったために、自分の思うところも人に伝えられず、失意のうちに寝込んでしまう。自分の家族や親しげな人たちのいる湖南省の村に帰ることを願うチョンおばさんだが、誰も彼女がどういう意味でそういうのか理解しなかったし、しえなかった。そして彼女は息子たちが待つもうひとつの故郷にはもどれないまま亡くなってしまう……。

映画は、湖南省の農村の習俗や人々の暮らしの一端を描き、そここそがチョンおばさんの生活世界だったことを感じさせる。それは村をたつ彼女を家族だけでなく村人までもが総出で泣きながら見送るシーンと、歓迎姿勢ながらどこかちぐはくでよそよそしい韓国での様子が、非常に対照的にみえるところにもいえる。映画の最後は、湖南省の村の夫の墓に葬ってほしいと遺言に残していたチョンおばさんの希望が、監督と息子の働きかけで実現し、遺骨を韓国から返してもらうところまで描かれる。