ちくごよみ『戸籍って何だ』2

「明治十九年式戸籍」(1898年)

一斉調査をとりやめ、届出制になる。この時代の徴兵制では戸主・後継人については、免除されていたため、戸籍のごまかしによる徴兵逃れが続出。これを食い止める目的で、本来住居関係登録であったものを、身分登録制度に純化することに。戸主・後継人が判別できるように、血縁以外の者を戸籍から締め出し、元の家の戸籍に入れ、血縁単位の「家」に整理。次第に実際の住居関係を反映しなくなる。また「族称欄」が新設されることで、差別的記載が制度化される。「華族・士族・卒族・平民」という記載が、「家格」をあらわすことになり、場合によっては「新平民」の記載も行なわれた。


「明治三十一年式戸籍」(1898年)

天皇イデオロギーに裏打ちされた「家」制度を明文化した「明治民法」がこの年に成立するが、それとともに「戸籍法」も改正された。民法に規定された重要書類になり、また公開性となったため、「私生子」差別を被らないように、出生の際の届出が定着する。戸籍は血縁重視の「家」制度になったため、居住関係登録のための「居留簿」を別に作成。完全に居住関係を表さなくなり、身分関係登録としての意味合いが強まり、「本籍」という観念が一般化する。


めいじのきんだいほうのせいびのなかで、いじょうのようにこせきせいどは、てんかいしていった。それぞれのだんかいに、さまざまなもんだいがはらまれていたのが、わかる。しかし、いちばんこんぽんてきなもんだいは、こせきが「天皇の臣民簿」だということだ(これは「壬申戸籍」のぜんねんにだされた「太政官布告」に「臣民一般、その居住地に就いてこれを収め」とはっきりとかかれている)。このてんにおいて、じつは「身分関係登録」というせいかくが、こせきにはふじゅうぶんであるうたがいがある。ふつうのみぶんかんけいとうろくなら、がいこくじんとのかんけいも、きさいされなくてはならない。ところが、こせきにはにほんじん(=しんみん)しか、はいれないのである。


これは、じつは、かくしんみんがどの「家(氏)」にしょぞくするのかをあかす、というかんてんからすると、「所属機関登録」というせいかくをおびている、とかんがえることができる。つまりナチスなどの、ぜんたいしゅぎこっかでもういをふるったような、かんし・かんりせいどなのである。