ちくごよみ『戸籍って何だ』5

天皇制を支えるもう一つのシステムは、分家による「氏」の恵与である。たとえば、源氏や平氏は、天皇家から分かれることでそれぞれの「氏」を与えられた。これらは大和王朝以来おこなわれてきたという点で根深い。ただし「氏」の恵与は、天皇の王権に限らず、権力者が支配を強め、権力に連なろうとするものが自己の権威づけのために、日本の権力関係のなかでは、しばしば見られるものである。よく知られているように徳川幕府は、有力な大名を手なずけるために「松平」を与えた。またさかのぼって、武家の台頭した中世、戦国時代を通じて、権力を広げるために自身の「氏」を配下のものに与えるということが(逆に、権力者の「氏」(姓のこともあり)を自己の権威づけのために勝手に僭称することが)、当たり前のようにおこなわれた。日本的権力の確立と膨張には、「氏」の恵与はつき物だったといえる。


まさに「おいえげい」ともいえる、このにほんの「うじ」のけいよであるが、これをめいじこっかは、てんのうけをちょうてんとするシステムに、いちげんかして、とりいれるのだ。


公家や源氏や平氏は、歴史的に天皇家の分家筋として始まっているので、そのままこのレトリックが適合する。藤原(中臣)氏は、もともと天皇家の分家ではなく別の系統なのだが、天孫降臨以前に分家した、と強引なロジックを用いた。また、渡来系氏族や服属系氏族は、天皇家とはまったく「縁」も「ゆかり」もないのだが、「氏」をもっているということ、ただそれだけのことだけで「天皇家の分家」とみなし始めた。


こういったことにもとづいて、めいじこっかのいせいしゃたちは、「うじ」をもつことはつまり「てんのうけのぶんけ」であり、「ぶんけ」にぞくすものは、すべててんのうの「せきし」(赤子)である、というロジックをはつめいしたのだ。ちゅうおうしゅうけんてきなしはいを、せいとうかするために。ようするに、これによって、にっていしはいがおよぶちいきのにんげんには、「うじ」をつくらせることで、もれなく「しんみん」にしていくことができ、さくしゅ・ちょうへいを、おもうままにおこなえる、どじょうとしたのである。


なぜ、めいじになって、けんりょくしゃはしょみんに、「みょうじ」をなのらせたのか、いままでよくわからなかったのだが、これでもはや、めいりょうだろう。たんに「みょうじ」をなのることをゆるしたのではなく、こせきにとうろくさせて、「うじ」をつくらせた、ということなのだ。ちゅうせい(中世)・きんせいをつうじたでんとうのなかで、「うじ」をもつことは、けんりょくへのせっきんとちゅうせい(忠誠)をいみしていたので、しょみんにもこのシステムは、きのうするようになり、ひやくとしかいまではおもえない、「しんみん」や「せきし」というかんねんが、きょうりょくにていちゃくしたのである。