ちくごよみ『戸籍って何だ』6

家族の論理と国家の論理が一本になって、国の柱になっているこのイデオロギーは、「家族国家観」と呼ばれる。これを裏で支えていたのが「氏」であり、その記録簿である戸籍であった。天皇家においてそれに対応するのが、「天の真名井(あめのまない)」(天空の玉座のこと。たとえ実際の血統は途切れていても、系統の奥には玉座の継承が保たれているというカルト的な考え)と、皇統譜である。


これらは「いえ」のしはいと、てんのうのしはいを、むすびつけ、それぞれのれんぞくせいをきょうちょうする。そしてそれが、「けっとう」のじゅんすいせい、というフィクションにてんとうして、きょうちょうされてしまうことは、「3」ですでにかいた。


外国人であったものも、国家によって「氏」を与えられた場合には、他の国民同様、総本家である天皇家の「分家」である。しかし、天皇の分家としての日本人になれば平等になるのか、というとそうではなく、より細かな差別へと導かれる。なぜなら、「分家」にも天皇に近い遠いなどの「格」があり、すさまじいまでの序列意識がはびこっていた。たとえば職業・芸能の継承と結びついていた近世身分差別は、血統に純化した身分差別に変容させられた。


べつのほんでちょしゃが、このこうぞう(ヒエラルキー)を、どうしんえんが、いくえにもつづく、ずにしてくれていた(『戸籍解体講座』)。ようするに、てんのうをちゅうしんにして、そのすぐまわりに「五摂家」「清家」「大臣家」「羽林家」「名家」「半家」、さらには「地下家」などのきゅう「華族」がとりかこみ、「皇別」を形成。そのまわりにきゅう「士族」、そして「平民」がおおきくそれをつつみ、そのそとをりんかくづける「新平民」。このあたりまでが「神別」であり、さらにそのそとに「アイヌ」や「沖縄人」「帰化人」がはいちされ、「諸蕃」としてカテゴライズされる。ここまでが「日本人」である。さらなるそとがわとして「朝鮮人」「台湾人」「北方民族」「満州人」というように、しょくみんちしはいをひろげていくかていで、「臣民」としていったひとびとを、「非日本人」として、このヒエラルキーのサークルにとじこめ、しばりつけるのだ。


このさべつの、なんじゅうものどうしんえんは、うちにむかっては、ひざまずき、おもねり、そとにむかっては、ぶべつし、しいたげる、という「さべつによるしはい」のにほんてきなこうぞうが、たんてきにあらわれている。