柄谷行人講演「力の構造」1

京都造形芸術大学大学院連続公開講座第6回
柄谷行人「力の構造」(12/16)


ほんじつ、じょうきのこうざをちょうこうにいった。タイトルからして、『あっと at』でげんざいれんさいしている「『世界共和国へ』に関するノート」において、てんかいされている「権力論」が、ぎろんされるのか、とおもっていた。柄谷ソンセンニンじしんも、とうしょは、そのつもりだったようだが、じっさいは、すこしちがうことをはなすことにした、ということのようだった。よそうとは、ちがったが、しかし、それだけいっそう、しんせんで、みりょくてきなぎろんが、ひろうされた。いかに、がいようを、わたしじしんがそしゃくしなおすために、まとめてみる。メモときおくをもとに、かいているので、まちがいやごかいがあるかもしれないので、ごちゅういを。


「力の構造」というタイトルは、講演依頼があったときにとりあえず適当につけただけです。それなりにタイトルに見合うことを、話すこともできるが、変更して別のことを話すことにした。


すぐに連想する人も多いと思うが、浅田(彰)さんが(連続講座のコーディネーターで当日の司会)、83年に『構造と力』という本を書いた。今でもこれは読めます。そんな本を24歳ぐらいで書いたので、それで(絶望して)自殺した人もいるとかなんとか。(「正確には、26か27歳のときです」と浅田氏のツッコミ)


それはさておき、今日は、京都の伝統でもある、デモの話をします。


2003年にUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)にいたとき、ある人から「アメリカでは反戦運動を弾圧しているようだが、大丈夫ですか?」といわれた。しかし、こちらこそ、「日本は大丈夫か?」といいたかった。日本ではまったくデモがない。あまり日本では報道されていないが、世界のどこでも市民は、結構デモをしている。それが全くといっていいほど、日本にはない。


2004年だったか、私もデモに参加した。カフェに行くのに、家の前をデモ隊がずっと通っていて、そこを通らなければならないし。カフェにもデモの参加者が、休憩に来ていて、出たり入ったりしている。まあ、そういうのがデモでもある。


こういうことをいうと「日本は議会制民主主義の国であるから、デモで政治を変えるのは間違っている」とかいうものがいる。60年安保以降、こういう考えが日本では支配的になった。しかし「デモがなければ、民主主義は機能しない」と久野収が、いっている。


インターネットが普及して、現在は、それが運動のための連絡などに、有効利用されている。日本でもインターネットは利用されているが、たくさんの人が自分の意見と称して、いろんなことを書き込んでいるけれど、それでおしまい。デモを組織して、それに活用することがない――これは他の世界では考えられないことです。


こういう現象は、いちおう近年のことと思われてしまう。しかし、どうやらそうではないのではないか。そして、これは日本に特殊な問題と考えるべきではないか。それを和辻(哲郎)が書いている(講演資料(1)として『風土』からの引用あり)。


「(…)示威運動に際して常に喜んで一兵卒として参与することを公共人としての義務とするごとき覚悟、それらはデモクラシーに欠くべからざるものである。しかるに日本では、民衆の間にかかる関心が存しない。(…)関心はただその「家」の内部の生活をより豊富にし得ることにのみかかっているのである……。」


和辻がこれを書いたのは、1920年代ですが、これは今でも当たっていると思う。日本では公共にかかわることに、無関心で、それは今に始まったことではない。いちおう、戦後の60年安保では、100万がデモに参加した。これは全学連などの学生が指導したといわれるけれど、学生だけでなく、労働者や一般の市民も参加した、日本史上で唯一の大きなデモといえる。ただしこれ以降、変わってしまって、68年はすでに民衆のデモは、退潮していった。新左翼だけのデモになってしまって、最終的に消滅した。


こうしたことは、大衆社会の変化としてみなされることがあるが、実はそれだけでは説明できないものです。


こうえんのぼうとうから、なんという、しんせんなてんかい! ほかのくにが、みんしゅしゅぎのしすてむの、いちぶとしてきのうさせているデモ・がいとうこういが、にほんでは、ほとんどそんざいしないことに、柄谷がけいしょうをならしている! しかも、2004ねんに、アメリカでデモにさんかしたような、はなしまで。おそらく、ほんにんも、がくせいじだいいらいなのではないか、とすいそくされる。