柄谷行人講演「力の構造」4

浅田:どうもありがとうございました。えー、羽仁五郎の『都市の論理』という本がありましたが、そこでは、公共の市民自治について論じられていて、それを思い出しました。また、お話の背景としていえば、60年以降に朝日・岩波的なものが貶められるような傾向がありましたが、先日亡くなられた加藤周一氏などは、そのような時代の変化にもブレることなく、市民社会的な価値を重んじる立場を最後まで貫いた人といえるわけですが、新聞からコメントを求められたときに、はからずも、最後の正統派の知識人の死によって、そういった「基準」が完全に失われてしまった、というようなことを述べました。(このあたり、あさださまの、おことばがウルトラはやくて、メモがおいつかず、かなりはしょったり、あやふやだったりしますので、まちがっているかも)


古典的近代が培ってきた「civic virtue(公民としての徳、市民道徳)」が、フランス革命において早くもジャコバン主義の台頭によって、解体されるというような歴史的な経緯も、また合わせて思うわけですが。ただ、柄谷さん自身文芸批評家として出発されて、『マルクスその可能性の中心』あたりでより思想的な方向へ転回し、カントとマルクスの改めての解読をおこなった『トランスクリティーク』を通じて、「アソシエーション」の重要性を強調されるようになったわけですが、その「アソシエーション」がいわば「face to face」的なものだ、というのは、ちょっとどう? という感じもしなくはないんです。今回は、丸山真男の再評価というところもありましたし、市民社会における「自己」というものを、アーレント的な政治主体のモデルとしてとらえる、というそいうところに戻るということなんでしょうか?


柄谷:昔、丸山のことを馬鹿にしていたお詫びもあって、今日は丸山のことを取り上げました。しかし、確かにアーレントのいうような古典的市民社会はもうないと思う。とはいっても、日本のようにここまで徹底的にないというのも、ほかの国と比べるとものすごく珍しい。それを言いたいのです。私みたいな人間が、アソシエーションとかいって、やっているんですから、できると思う。自分でも本当は、そのことは億劫でやれと言っても確かに難しい。自分でやると、その後は落ち込んで、3日ぐらい寝込んでしまう(笑)。


浅田:先ほどのお話しで、古いといわれていた労働組合なども必要で、それなしには民主的ではない、とおっしゃられていました。アントニオ・ネグリなどは、決してそれ単独としてではないにしても、アメリカが一つの大きな中心として「帝国」を形成して、それに対して有象無象としてのたくさんのマイノリティが横のつながりによってつながり、対抗勢力となるという見通しを、2000年あたりまでに描いていました。現在の状況を見ると、どうもそういうになっているとは言えなさそうです。一方、柄谷さんは『世界共和国へ』において、国民国家間の連合の可能性を、いわば上からの解決という形で問題提起されていたと思うのですが、今日はそれとも違って、逆に下からの現状打破という、印象をもちますが、そのあたりはいかがでしょう?


柄谷:今は90年代までに覇権をにぎっていたアメリカが没落して、帝国主義がぶつかり合っている状況だといえるとおもうね。これは19世紀末の列強が勢力争いをしていた頃と似ている。現在の経済危機は、国家介入や保護主義をよりいっそう強めていくでしょう。つまり社民主義。失業者を国家によって救済しようということです。しかし、本当は労働者の自生的な企業と金融が必要なのではないか? まあ、こうなることは2000年の時点で私ははっきりと予言していた。(でたー!)


帝国主義の争いは、これからもっと熾烈になる。国家の内部では、これを解決することはできない。なぜなら国家は国家に対して、それによってあるのだから。――ロシア革命は、最初はよかったんです。しかしアメリカや日本などが干渉した。日本はシベリアに10年も出兵していた。『ハイカラさんが通る』にもそのことがちゃんと描いてある。……まあ、そんなにはちゃんと描いてないけどね。


(ここで、かいじょうからの、しつもんをうける。ひとりのさんかしゃが、ぶんみゃくをつなげることなく、じしんがかかわる、しけいはいしのうんどうについて、とうとうとのべだしたので、3ぷんほどしてから)


柄谷:あなたの言いたいことは、また書いたものを渡してくれればいい。私も死刑制度には反対で廃止すべきだと思います。実は、裁判員制度裁判員候補者に選ばれたんです、この間。それで、いま裁判員制度の勉強を始めたところです。古代ギリシアには、弾劾裁判があって、それが専制が起こらないようにするシステムとして民主制に必要だったといわれている。が、しかし、それだけではダメだ。民主制には、くじ引きによる代表の選出が不可欠なんです。(このあたりも、メモがまにあわず、ややこころもとない)


(もうひとり、しつもんしゃ。「麻生首相邸を見にいこうとしたデモ隊が、警察権力によって、不当逮捕されたことがあり、先日YouTubeに映像が公開されて、何十万というアクセスがありました。その事件についてはどうお考えですか?」)


柄谷:最近、新聞でもデモのことをすこし報道するようになっている。変化の現われで、デモに対する否定的なキャンペーンではない(? ここもききとれなかった)。


浅田:まあ、それこそオモシロデモでもいいし、サウンドでもいいし、そこから始めるというのもあっていいと思います。イベント的という点もあるかもしれませんが。ええ、では時間がきましたので、今日は長い時間お付き合いいただきまして、ありがとうございました。