柄谷行人講演「力の構造」3

こういったことは、文学においてもパラレルなこととして現象している。日本の近代の批評家はずっと「私小説」を批判していた。そういう意味で、日本では〈3〉の「私」の領域がずっと大きかったといえる。一時期、プロレタリア文学一世風靡しました。これは〈1〉にあたるもので「私小説」に対する抵抗だった。しかしすぐに転向する。そのとき〈2〉に行かずに、〈3〉や〈4〉へと撤退してしまう。戦後文学の一部だけが、個人主義として〈2〉へ行った。しかしこれも60年代まで。共産党の力が強かった時期までが、それが可能だった。


日共、国労、解放同盟、総連、こういった戦後の中間団体といえる組織は、すべて弱体化され、つぶされていった。安保闘争と同じ時期に、三池闘争があった。安保でのこともあるが、やはり三池闘争に敗北したのが大きいと思う。これで日本の労働運動は弱体化したから。だから60年代後半以降の運動には、60年までのそれにくらべて中間勢力がすでになかったといえる。


そのあとの国労=総評の解体が、決定的。大学もそうです。いわゆる大学の独立法人化。それまでの日本の大学は、いわば封建制のようなものだった。各自で勝手なことやって、勝手なことをいっていた。創価学会が与党になったのも象徴的。抵抗勢力でなくなり、反戦を放棄したわけだから。また解放同盟の無力化も大きい。解放同盟がいたから、右翼はあまり大きな顔ができなかった。弱くなると急に右翼が目立ち始めたでしょ。解放同盟はいろいろなマイノリティ運動をになう役目を持っていた。


こういったものがメディアのキャンペーンによって攻撃された。確かに解放同盟も糾弾闘争で問題があったし、大学など旧態依然として全然擁護できない。それぞれを見ると批判されるべきところが多かった。しかし、このような組織は、国家と一定の距離を置き、一般の人々を、私化やアトム化から自立した個人に向かわせる、中間団体としての役割があったのです。こういったものが、90年代以降、そして2000年にはほぼ消え去ってしまった。


日本は専制国家とは、いえないかもしれない。しかし、こうしたことを考えると、そのようなものではないのか。代議制が機能していないのは、明らかです。人々が〈4〉の原子化したなかで秘密投票がおこなわれていて、国会議員は、二世、三世、四世と世襲化されている。これは考えようによっては徳川時代より悪い。藩政では、養子縁組で有能なものをよそから連れてきて跡継ぎにしていたから。では、一体このような専制から逃れるにはどのようにしたらよいのか?


代議制以外の方法に、それを求めるべきだということがいえると思います。その一つがデモです。デモにおいてこそ主権者が存在するし、デモなしでは民主主義ではない。デモは、人をアトム的にしない。相互に強いコミュニケーションを持つ組織によっておこなわれるから。それがない日本人は、個人が弱い。〈2〉の自立化は、アソシエーションによってこそ育てられるものだ。


日本のインターネットは、〈2〉を助けることなく、〈4〉の原子化的な人間を増やしていく。2ちゃんねるとかそれに類するブログとか、匿名で書いている。こういうものを説得する必要はまったくない。馬鹿なことを書いていても放っておけばいい。それはフロイトのいうところの「エス」なんです! 言ってもしょうがない。


こういったものである限り、しかし、これを変えることができる。日本で唯一といっていい例外がある。それは沖縄です。なぜ彼らにはデモがあるのか。おそらく徳川時代がないというのが関係ある。それと「もあい(模合)」という頼母子講のようなものもある。互助的な金融システムです。あるいは、島ごとに分かれて共同体がそれぞれ独立しているのもあるかもしれない。普段は比較的ばらばらで、しかし国家や大きな権力には、協力して立ち向かっていく。


京都にも80年代くらいまでこういう要素が残っていた。学生運動も関東とかほかの地域に比べ、はるかにしつこくやっていた。お寺が多いというのもあるでしょうか。とにかくデモはあるべきです。そうでなければ、どんなに自由に見えても、選挙があっても、専制国家でしかない。デモは小さくていい。大きなデモは、たいていそれがたくさん集まってできていく。それで、今日はこの会場に皆さん来ていますが、これはイベント的ですね。イベントは、坂本龍一とか呼べば、もっとたくさんの人が集まるが、それは〈4〉のアトム化にしかならない。そうではなくて、アソシエーションを作る必要がある。もちろん、できれば封建的なものでないほうがいいですが。


NAM(New Associationist Movement)というものを、2000年に始めて、3年でやめました。最近になって「あれは早すぎた。今の方がそれにふさわしい状況だ」とかいう人がいる。しかしわたしは当時の時点で、遅すぎたと思っていた。で、なぜそれが失敗したのか。おそらく9.11も原因でしょう。しかし本当の原因はわれわれにある。それは、インターネットやイベントに基づいたものであったからです。アソシエーションと呼べるようなものではなかった。アソシエーションには、これまで考察したように、お互いに顔を見て、互いのことがわかるようなつながりが必要なのです。そういうことが欠けていたのだと思います。以上です。