イスラエル大使の追放 in Venezuela

先週22日のデモのなかで、シュプレヒコールの1つとして「日本政府は、イスラエル大使を追放せよ〜!」というのがあって、尊敬する根っから左翼のKさんは、「これ、結構踏み込んでて、ええんちゃうん」とお気に入りでしたが、ベネズエラでは、1月4日のとっくの昔に在ベネズエライスラエル大使を「追放」していたんですね。さすがチャベス
http://www.voanews.com/english/2009-01-29-voa50.cfm


それで、そのお返しとしてイスラエルも、1/28(水)にベネズエラ大使の「追放」を命じたようですが、この記事によると、ベネズエラ外相は、数週間もたった今になっての、そのイスラエルの応接を、「しょぼっ!」しかも「遅っ!」と、バカにしたようです(すごい挑発ですよね)。まあ、それはそれとして大事なのはその後の発言で、すぐに「反ユダヤ主義」という言いがかりを持ち出すイスラエルのあり方に「イスラエルを批判する国は、自動的に反ユダヤ主義の列に加えられてしまうのか」と、文句をつけている。ほんま、そうやね。


本当に理解に苦しむのは、イスラエルがここで使う「反ユダヤ主義 anti-Semitism」ということばです。いったいイスラエル人は、こんなこと言っていて、恥ずかしいとか、罪深いとか感じないのでしょうか。確かに19世紀から20世紀にかけての、近代の「反ユダヤ主義」は、ひどかった。しかし、今イスラエルに向けられる批判は、「ユダヤ人」だからなのではなく、単に「えげつないことをする」からなのです。それに、イスラエル人の多くは、「ユダヤ人」というよりは、いまや単なる「イスラエル人」にすぎない。なぜなら、「ユダヤ教」「ユダヤ性」「ユダヤの歴史」は、宗教・言語・民族・文化それぞれの局面において、あまりに多様すぎて、単一性などない。唯一見出せる同一性は、現在の「国民国家イスラエル」によるイデオロギーだけだからです(このあたりは疑問があれば『見えざるユダヤ人』『全体主義の起源』『わたしの中のユダヤ人』などを読んでください)。だから「ユダヤ人」など、まったく関係がない。


だから、イスラエルが性懲りもなく、人種差別的な背景のある「anti-Semitism」ということばを使うのは、何の現実的根拠もなしに自らをいわば「人種化」していることになるわけです。おそらくこれは、シオニズムが、ナチズムによって席巻された20世紀前半の人種思想的・植民地主義的問題を、全く克服していない証拠といえるでしょう(そして近代天皇制を克服せず、自分達がそれ以前から連綿としている自明な「民族」だと思い込んでいる「日本人」も、おなじく人種主義的偏狭さから免れていない)。


おまけ。スペインの裁判所が、2002年のガザ攻撃の際のイスラエル人の戦争犯罪者を立件することに。スペインのこと全然知らないし、いろいろあるだろうけど、社会に正義がありますね。
http://uk.reuters.com/article/worldNews/idUKTRE50S5U420090129